#77 Rare Bear (1994)





#77 Rare Bear (1994)

"Rare Bear" は海軍を退役後にトランスワールド航空でパイロットをしていたライル・シェルトンによって作り上げられたグラマンF8F-2ベアキャットの改造機。 リノでの優勝だけでも'73, '75, '88, '89, '90, '91, '94, '04, '05, '07の10回に及び、数々の名勝負を演じています。 また本機はピストンエンジン航空機における低空3km直線コースでの速度(850.26km/h)と0-3000mの上昇時間(1分32秒)、2つの世界記録を保持する機体でもあります。

Sheltonは1965年に第2回リノ・エアレースで借り物のP-51Dでアンリミテッドクラスに初参戦、翌年は同じく借り物の借り物ホーカー・シーフューリーを飛ばしていました。
彼は1968年にジャンク状態のF8Fを入手、修復を進めながらレーサーへの改造を施します。 オリジナルのブラットニー&ホイットニーR-2800エンジンをより大型のライトR-3350に換装して完成した機体はレースナンバー70"Able Cat"と名付けられました。 これは同エンジンを装備する海軍の攻撃機ADスカイレーダーがその形式名称から"Able Dog"と呼ばれるのに引っ掛けてたんですな。

#70は'69にリノへ初参戦、アンリミテッド・ゴールドに5位の成績を残します。 その後もエンジンと空力の洗練を進めながらリノへ参戦を続けて強豪の一角へと成長していきました。 またこの頃は機体の名称とカラーリングを毎年の様に変えていて、RENO'71にはレースナンバーを#77に変えて"Phoenix I"、'72"Phast Phoenix"、'73"US Thrift"、'74"Omni Special"、'75"Aircraft Cylinder & Turbine"という目まぐるしい変遷を経ています。
その後#77は'76シーズンにカリフォルニア州モハービのレースで油圧系統のトラブルから胴体着陸をしてしまいます。 リノへの復帰は'80で、このときから名称を"Rare Bear"としています。 当初はシェルトンの操縦で飛んでいましたが80年代後半からサブのパイロットとしてジョン・ペニーが操縦桿を託される様になり、94年以降はペニーがメインのパイロットとなっています。 90年代後半あたりから暫くの間#77はトラブルとチームの資金難が重なり低迷していましたがRENO'04で優勝に返り咲きました。 '07シーズンからは新オーナー、ロッド・ルイスを迎え、カラーリングも紫を基調としたものに一新しています。

イラストはRENO'94でジョン・ペニーが初優勝を飾った時の姿です。この頃の#77はP-3オライオン用のブレードを流用した三翅の巨大プロペラを装備していました。







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