#5 Roto-Finish Special (1972)





#5 Roto-Finish Special (1972)

シアトルのエアラインのパイロットだったチャック・ホールが1966年のリノに出場したのがこの機体のレース歴の始まりです。 当初はストックコンディションで愛称もない名無しのレーシングナンバー5でしたが、そこから徐々にエアレーサーへの改造が進められました。 1967年にはプロペラがP-51H用のエアロプロダクツ製の物へと換装され、1968年には "Miss R.J."と愛称が付けられるとともにエンジンを強化、翼端は左右合計で4フィート切り詰められてリノの決勝で2位につけています。 翌1969年の "Miss R.J."はレーシングキャノピーを装備、それに続く機体背部をFRPで整形、尖頭スピナーが取り付けられてこの絵にあるような特徴的な形態になっています。 その当時のカラーリングは全面白の機体へ前後にオレンジのストライプ伸びるものでした。 しかしその後の #5はレーシングエンジンのトラブルが続き、空力的な洗練の効果は確認出来たものの思わしい成績をのこせないホールは'70シーズンを最後にこの機体を売り出してしまいました。

この#5を買い取ったのがミシガン州で研磨・仕上機械の会社 "Roto-Finish Company"を営んでいたガンサー・ボルツでした。 彼はリノ'69からストッコンディションのベアキャット #7 "Roto-Finish"でエアレースに参戦していて、更に速い機体を求めていたところでした。ボルツは #5に新しく用意されたレーシングエンジンを載せ、機体全面を銀塗装として新しい愛称 "Roto-Finish Special"を付けてリノ'71へ出場、決勝Goldを4位でフィニッシュします。 さらに翌年のリノ'72では当時のレース新記録となる416.16mphでボルツは念願の優勝を果たしました。
この優勝でホールはエアレースから引退を表明し、リノ'73では #5はジョン・ライトの操縦で決勝Goldへ3位に着けています。

リノ'73の後にホールは#5を売却、ジャック・スリッカーがこれを買ってリノのひと月後に行われたカリフォルニア州モハービのレースに臨みますが、スリッカーは満足な成績を残せず #5は再び売りに出されてしまいました。
それを買い取ったのがアイダホ州で農業会社を経営し、その一環として航空事業も手掛けていたエド・ブラウニングでした。 #5は彼のチームで真紅の塗装を身に纏い、愛称も"Red Baron"と変わるのですが…そこから先はまた別のおはなしです。







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