#7 Strega (1985)





#7 Strega (1985)

 1982年、リノ・エアレースのアンリミテッドクラスで高度に改造されたP-51レーサー、#4 Dago Red が初出場でいきなり優勝するという快挙を挙げました。 このとき #4 の共同オーナーとしてフランク・テイラー (Frank Taylor) と共に名を連ねていたカリフォルニア州ベーカーズフィールドの大農場主、ビル "タイガー" ディステファニー (Bill "Tiger" Destefani) が#4の権利をテイラーへと売却、ディステファニー自身の機体として構築したのが本機、#7 Strega です。

 伊語で魔女の意をもつ"ストレガ"と名付けられたこのP-51Dは元々オーストラリア空軍機。 退役後豪州国内の博物館の所有になっていたこの機体をエンジンビルダーとしても名高いのデイブ・ツオイシェル (David Zeuschel) が買い付け米国に移していたものをディステファニーが買い取り、数多くのエアレーサーを手掛けたロッキードのエンジニア、空力と構造を担ったブルース・ボーランド (Bruce Boland) と冷却システムを担ったピート・ロウ (Pete Law) によって改造が施されました。 改修は#4とほぼ同等で当時最も成功していたP-51レーサーだった#69 "Jeannie" (後の#177 "Galloping Ghost") に範を取ったもので、冷却器に水を噴射して冷却を強化するスプレーバー装置を備える縮小された腹部エアスクープと切り詰めた翼端処理、小型化されたキャノピーが適用されました。 #4との相違点はキャノピが飛行中にも開くことの出来る #5 "Red Barron" と同型の後方スライド式とされました。後年このキャノピーは当初後方跳ね上げ式を採用していた#4にも適用されました。 またP-51の元からオフセットされた垂直尾翼の取付角が0.5°だけ減じられています。 エンジンは過給機とエンジンの間にあるアフタークーラーを省き、その間を太いパイプで繋ぎ水メタノールを噴霧するADI=anti-detonation injectionが追加されました。

 #7がはじめてリノに現れたのが1983年、前年#4を飛ばして優勝したロン・ヘヴル (Ron Hevle) の操縦で予選を435.98mphの3位に着けましたが決勝のゴールドレースではエンジントラブルでレースは棄権、その後85年にカリフォルニア州ミンター・フィールドで開催されたレースで #84 Stiletto との競り合いを制して優勝を飾りましたが、リノでは数年予選での速さを見せるもののトラブルで結果の出ない年が続きました。 86年にはオーナーのディスティファニーの操縦で決勝3位に着けけましたが平均速度は416mphと精彩を欠く成績でした。
 1987年のリノでは予選の平均速度466.674mphでクオリファイレコードを更新、各ヒートレースでも勝ち続け決勝のゴールドレースも #8 Dreadnought を振り切り452.559mphと当時のレースレコードを更新して堂々の優勝を勝ち取りました。 その後90年代、リノでは #77 Rare Bear と #7 がかつてない高速の闘いを繰り広げました。 ディステファニーはタイガーの異名の通りのアグレッシブな操縦でリノで1992、93、95、96、97年と優勝を重ね世界最速の栄誉を浴びました。

 97年のレース終了後の着陸時、#7は風に煽られハードランディングにより機体を損傷してしまい、それを機に再レストアを施され99年のレースに復帰するものの、その間にチームの要となるクルーチーフで名エンジニアとして知られるビル・カーチンフー (William "Bill" Kerchenfaut) が#4 Dago Red のチームへ移籍したこともありトラブルに苦む時期が続き一旦はビル・タイガーも引退を表明するほどでした。

 しかし#7とビル・タイガーのチームは08年のリノで優勝に帰り咲き、09年、10年、12年はかつて #5 "Red Barron"#1 Super Corsair#18 Tsunami 等のレーサーを飛ばしたスティーブ・ヒントン (Steve Hinton) の息子、スティーブン・ヒントン・Jr. (Steven Hinton Jr.) の操縦で、15年には元スペースシャトル船長のフート・ギブソン (Robert L "Hoot" Gibson)、17年には前年のリノで #86 Czech Mate を飛ばして2位に着けたジェイムス・コンサルヴィ (James Consalvi) の操縦でそれぞれ優勝を勝ち取っています。 17年の決勝レースでコンサルヴィはかつて#7を飛ばしたスティーブン・ヒントン・Jrの乗る#7の姉妹機とも言えるP-51改造レーサーの #5 Voodoo と激しく競り合って平均速度481.340mphで勝負を制しており、近年のリノ・エアレースで屈指の名勝負と言われております。

 この絵はデビューから間もない85年仕様。胴体と翼に噛み煙草スコールバンディットのロゴが描かれているのがチャームポイント。 時代が下って2000年代になるとストレガは機体と翼の表面を徹底的に整形して、高度に改造された現代的エアレーサーに特徴的なつるんとしとた外観になるんですが、画題としては僅かにヨレた翼下面の映り込みとかを描く方が楽しい訳です。





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